ほぼ週刊よこやま

ある一人の友達のために始めたニュース解説記事。私の視点から見えるもの。

【民主主義と多数決の関係性】

昨晩、最高にあつい質問をいただき感動している横山です。

これを奇貨として民主主義と多数決の関係性について少しお話させていただければなと思います。

 

「多数決は民主主義の意思決定方法」であることは間違いありませんが、

「多数決=民主主義」であるとするのは少し強引です。

 

民主主義とは

民主主義とは組織の構成員(国なら国民、地方自治体なら県民や市町村民、会社なら社員、組合なら組合員…)が組織の重要な、もしくは最終的な意思決定を自ら行うことを指します。

これは専制政治など、一部の階級や特権的な人に意思決定の権利を独占されていた時代への反省、また人は生まれながらに平等であるという思想のもとに築き上げられています。

(以前にも書いた気がしますが、民主主義が最良の制度かと言われればそうではないのですが、最も”まし”な制度だと言われているため各国がこの制度を採用しています。

民主主義の是非に関しては私も知識がないですし膨大な時間がかかると思うので一旦保留させてください。)

 

すべての構成員に意思決定権があるのであれば目指すべき意思決定方法は、

『全員が意見を表明し、全員が納得した上で物事を決める』

ことです。

(確か古代ギリシアにそういう政治制度敷いてた国がありましたよね?)

ただ、これだと膨大な時間とコストがかかってしまいます。

そこで考えられたのが”議会制民主主義”という制度です。

 

議会制民主主義とは、選挙によって選ばれた人が、選んだ人に成り代わって議会で議論をする制度です。

私たちの《代わり》に《議論》する《人》なので代議士と呼ばれます。

(だから私たちが選んだ議員が勝手なこと言ってたら「私たちはそんなこと言ってないよ」と指摘していいんです。

レストランに行って、ハンバーグドリア頼んだのに、ほっこり和定食出てきたらお店の人に「それ私の注文じゃありません」と指摘するじゃないですか。

それと一緒です。)

 

代議士の後ろにはその人に意見を託した構成員が大勢います。

繰り返しになりますが、その人たちも意思決定権を有した人たちです。

なので、議会であっても目指すべきは『満場一致』での決定です。

事実、国会に出される法案の7~8割(数字はうろ覚え)は全会一致で可決されています。

 

ただ、どれだけ議論をしても、論点が出し尽くされても、お互い譲れない部分が出てきたりするわけです。

「どうしよう。けど決定しないと困る人がいるし進めない…」

という時に初めて”多数決”が使用されます。

「なるべく多くの人が賛同している意見を採用した方が民主主義の目的と合致するよね」

というのがその理屈ですが、だからといって少数意見をないがしろにして良いわけではないということは、ここまで読んでくださった人であればお分かりいただけると思います。

 

情報公開が民主主義の要

例えば、A、B、C、D、Eの5人で晩御飯を食べに行くとします。

ABCは『焼肉』が食べたいと言いました。

DEは『お寿司』が食べたいと言いました。

この時点で多数決を取ると今日の晩御飯は焼肉になりますよね。

 

でも、もしDがベジタリアンでお肉を一切食べないということがわかったらどうでしょうか?

ABCが「じゃあお寿司でもいいよ」と、譲歩するかもしれませんし

もしくは焼肉とお寿司両方食べられるような場所を探してくるかもしれません。

メニューが抱負な居酒屋さんでABCはお肉を中心に食べ、DEはお魚を中心に食べる。

といったような第三の案が出てくる可能性もあります。

 

ご飯を例にあげましたが実際の政治の場面ではもっと複雑で、

前提となる条件が変われば、この例以上に議論する内容も提案することも変わってきます。

これが情報は全て公開されるべきだとされる所以です。

 

すごくセンシティブな話になってしまうのですが(あえて突っ込みますと)、

原子力発電所を誘致するという話になった時、住民の方に、

「3.11の様な事故が実際に起こり得る」

という情報が提供されていたら結果は違っていた可能性があります。

良い情報も悪い情報も全てオープンになっていることが重要なんです。

 

議論こそが民主主義の根幹

すごく乱暴に話をしちゃうと、多数決って過半を取っちゃえばそれでOKになります。

例えば、国際連合という場がありますがあそこは人口の多寡に関係なく1国が1票を持っています(ややこしくなるので拒否権は気にしないことにします)。

仮に、どこかの国が

「G7はその他の国々の発展のためにGDPの1/3の金額を拠出しなければいけない」

と提案したとします。

国連加盟国193カ国のうち割りを食うのはG7の7カ国だけなので、多数決を行えばG7は負けることになってしまいます。

もちろん道義的にこんなことは起こりえないのですが、多数決が正義だとしてしまうと、この論理も成立してしまうわけです。

 

ちなみに内閣不信任決議案で枝野氏が例示していたのはマンションのエレベーター問題(最終的に本になってます)。

全4階のマンションのエレベーター改修工事の費用負担を、2~4階の人が結託すれば1階の住人に押し付けることができるという話。

もちろんこれも起こらない話かもしれませんが、多数決が意思決定の方法だとなれば”そう”なっちゃうんです。

 

そうならないために、誰もが納得できるような妥協案、折衷案、代案…を探し求めるのが政治の役割ですしそれこそが民主主義なんですね。

そういう意味で「多数決すなわち民主主義ではない」ということを枝野氏は言いましたし、私はそこに強く同意したわけです。

 

ちょっと熱っぽく語ってしまいましたがその一端でも伝われば幸いです。

随分長くなってしまいましたが、最後までお読みいただいた方、本当にありがとうございました。

 

緊急出版! 枝野幸男、魂の3時間大演説「安倍政権が不信任に足る7つの理由」

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