【諫早湾干拓問題の司法判断】
ここまで書くつもりなかったんですけど書いてるうちに膨らんできたのである程度書いておこうと思います。
昨日ちょっとたまげた判決が出たので共有しておきます。
長年にわたって争われてた長崎県の諫早湾干拓問題についての裁判です。
▼諫早湾開門命令“無効” 国勝訴で...開門派は上告へ
https://www.fnn.jp/posts/00397602CX
諫早湾干拓問題とは?
ざっくり説明するとですね、戦後の食糧不足対策として、諫早湾を干拓し農地にしましょうという計画が持ち上がったんですね(1952年)。
それが着工されたのが1989年で既に食糧不足は解決されてたんですけど国が推し進めたんですね。
で、干拓って水抜かないとじゃないですか。
水抜くために湾を締め切るような堤防と門を作り始めたんですよ(1990年)。
そしたら諫早湾で海苔を作っていた漁業者が
「水の流れがとまったせいで海苔がとれなくなった!門を開けて以前のように水を自由に行き来させろ」
という運動を始めたんですね(1990年~93年のあたり)。
最終的に門は1997年に完成し閉門しました。
ガシャンガシャンと門が閉まっていく様が当時ニュースで話題になったので覚えてらっしゃる方も多いかと思います。
司法の判断
これまで司法は
「開門して門の影響なのかどうか調査を行いなさい」
と国に命じていました(佐賀地裁→福岡高裁:国が上告を見送り判決確定)。
ただ一方で、既に干拓地で農業を始めている農業者からは
「開門されたら土地が塩害でやられちゃうからやめろ!」
という訴えも出ててそれを認めていたんですね(長崎地裁)。
1.国は開門調査する義務を負う(福岡高裁)
その上で…
・門を開けて調査をしていない期間は漁業者に制裁金を支払う(福岡高裁判決)
・門を開けて調査を開始した場合は農業者に制裁金を支払う(長崎地裁仮処分)
ということになっていました。
矛盾しているけどそれはOKと司法(最高裁)は判断していました。
その後、漁業者側が「開門されないのであれば制裁金を倍にしろ!」と訴え認められます(佐賀地裁のち最高裁で確定)。
今回の判決は、調査義務を無効化しさらに最高裁で決定された「漁業者への制裁金支払」は不必要というもの。
その理由は「裁判から10年以上が経ち漁業権が消失しているから」としてるんですけどちょっと判断の根拠がよくわかんないんですよね。
漁業者側は最高裁に上告しましたけど、最近の司法の意味不明っぷりを考えるとこのままなんじゃないかなーと思います。
最高裁自身がこの矛盾した判断にどう整合性をとるのか。が注目ポイントです。
漁業権消失してるから…って説明はないと思うんですけどねー。どうでしょう。
年表で流れの振り返り
2007年11月、干拓事業完成。
2008年6月、佐賀地裁(一審) - 開門を命じる。
2010年12月、福岡高等裁判所(二審) - 水門開放を命令。菅首相、控訴せず。判決確定。
2013年11月、長崎地方裁判所(一審) - 水門開放請求を棄却。当面、開門してはならない。
2014年4月、佐賀地方裁判所 - 開門しなければ制裁金支払えと命令。(1人1日1万円)
2014年6月、長崎地方裁判所 - 開門すれば制裁金支払えと命令。
2015年1月、最高裁 - 制裁金の判断は矛盾していても、どちらも有効と認める。判決確定。
2015年3月、佐賀地方裁判所 - 国が開門しないので、制裁金を倍額に増やせ。
2015年12月、最高裁 - 佐賀地裁の倍額増額判断は妥当。判決確定。(1人1日2万円へ)
2017年4月、長崎地方裁判所 - 開門を差し止める判決。
2018年3月、福岡高等裁判所 - 和解勧告するも2018年5月に決裂。
2018年7月、福岡高等裁判所(二審) - 漁業権が消滅しているとして、漁協への制裁金支払い停止を認める。←NEW
そもそも
そもそもですね、干拓事業の開始って1989年だったわけです。
その頃「食糧不足」なんてなかったわけですよね。
公共事業という名の経済対策の一貫なんですけど、結局こういうので割りを食うのは一般の人たちなんですよねー。
ダムしかり、原発しかり、
「本当に必要なのか?」
「リスクはないのか?」
「あるとすればそれはヘッジできるのか?」
「リスクに見合うだけのリターンがあるのか?」
という超基本的なとこが置いてけぼりになってますよね。
それで何かあった時は責任をなすりつけあって誰も請け負わない。
そんな状態が続いてしまっています。
漁業者も農業者も「それぞれの生活」があるわけで、その生活は公共事業によってズタズタにされてしまったわけです。
なんかやるせないですけど、まずは最高裁の”言い訳”に注目しようと思います。
情報出てきたら流します。