ほぼ週刊よこやま

ある一人の友達のために始めたニュース解説記事。私の視点から見えるもの。

【南北会談の成果①】

朝鮮半島の話です。

南北関係が急展開ですねー。

 

金正恩氏が韓国特使団と会談 「再統一に向けた新たな歴史を」(’18/3/6)

http://www.bbc.com/japanese/43283984

 

▼南北首脳会談に動き出した朝鮮半島米朝対話は実現するか(’18/3/6)

www.newsweekjapan.jp

 《目次》 

 

ここ最近の時系列

第二次大戦後、米ソ冷戦により南北に分断された朝鮮半島

いまだに戦時中(現在は休戦中)です。

当然ながら北と南は敵対関係にあるわけです。

そんな状態での特使団の派遣だったわけです。

 

同じ民族ということで単純に比較できませんが、

今回の南側特使と北トップの会談というのは

いうなればアフガニスタン紛争中に

米国の高官がアルカイダのトップと会談するようなもんです。

実際には色々違うんですけどね。

それくらいの大きさはあるということです。

なのでオリンピックで北のNO.2が南のトップと会ったというのも

そうとうに大きい話なんです。

 

初っ端から話がそれました。

南北が統一に向けて融和が進み始めたのは

第14代大統領の金泳三(キム・ヨンサム)氏あたりから。

その後を引き継いだ金大中(キム・デジュン)氏が『太陽政策』を掲げさらに推進。

2000年に金正日総書記との初の南北首脳会談を実現しています。

金大中氏の後任となった盧武鉉ノ・ムヒョン)大統領も同政策を維持しようとしましたが

就任直後に国会から弾劾訴追され失脚。

政権交代が起こります。

 

政権与党の党首として大統領の座につくこととなった

李明博(イ・ミョンバク)氏は方針を一転。

北に対し強硬路線を取ります。

後任の朴槿恵(パク・クネ)氏も同方針を堅持し

”南北問題”は固定化されたままでした。

 

朴槿恵の失脚、韓国の民主化が促した北との融和

膠着した南北関係を一気に動かしたのは文在寅ムン・ジェイン)大統領の誕生でした。

文在寅氏は盧武鉉政権で大統領側近として務めるなど

太陽政策』の流れを汲む大統領です(だそうです。知りませんでした)。

 

(一応wiki載っけておきます)

 

文在寅Wikipedia(「1.5盧武鉉政権」を参照)

文在寅 - Wikipedia

 

つまり(この事実を知っていれば)文在寅大統領が誕生した段階で

韓国が北との関係改善に向けて行動を起こしていくことは自明だったわけです。

 

そして氏は韓国の”民主化”的な流れの中で、

多くの国民からの強い支持を得て大統領職に就任しました。

これが南北問題の解決へと歩をすすめる上で大きな後ろ盾になっており、

平昌オリンピックはそういう背景のもとで開催されました。

文氏は数ヶ月前から北側に選手団や応援団の派遣を要請しており

そのことに対し韓国国内からは大きな反発の声は上がりませんでした。

 

韓国国内の情勢が悪くないと見た北は応援団だけではなく

実質的なナンバー2である実妹、金与正(キム・ヨジョン)氏の派遣までも決定しました。

これが今回の韓国特使団の平壌派遣へとつながっていくわけです。

 

 

ということで特使団派遣までの流れを書きました。

この次の記事で”成果”の部分を書こうと思います。

相変わらず一つ一つが長くなってすみません。