ほぼ週刊よこやま

ある一人の友達のために始めたニュース解説記事。私の視点から見えるもの。

【プーチンの訪日:日本が得たものと失ったもの①】

先日ロシアの大統領プーチンが日本を訪れました。

プーチン氏が大統領として訪日するのは2005年以来だそうです。

2005年は小泉政権下で安倍氏官房長官としてプーチン氏を迎え入れてるはず。です。

いや、いいんです。ここはそんな重要じゃないので。

 

日露間の外交事項

日露間における重要外交事項は一にも二にも「北方領土」問題です。

第二次大戦後のシベリア抑留や経済、エネルギーのこともありますが

やはり最重要事項は北方領土問題でしょう。

実は私、この件にあまり関心を持ったことがないので詳しくありません(言い訳)。

が調べてみるとそれなりに複雑なので

現在の交渉につながっているところは抑えておこうと思います。

 

北方領土問題》

そもそも論でいうと北海道含め千島列島もアイヌの人々の土地なので

「日露間の領土問題」というワーディングには非常に違和感があるのですが

個人的な想いは横に置いておきます。

余談ですがもし興味がある方は『北海道旧土人保護法』でググってみてください。

 

本題です。

 

千島列島と樺太の帰属先

北方四島を含む千島列島は、日露間で主権を争っていましたが

日露戦争講和条約として結ばれた「ポーツマス条約」により

樺太(サハリン)の南半分と千島列島を得ました。

その後第2次大戦の敗戦国となった日本は「サンフランシスコ講和条約」において

樺太と千島列島の領有権を放棄を宣言(挑戦・台湾も)します。

が、戦勝国となったはずのソ連はこの頃すでに西側諸国と対立しており

サンフランシスコ講和条約には参加せず調印もおこないませんでした。

この東西対立が北方領土問題を生むこととなりました(そうです)。

 

北方領土交渉の始まり

その後日本は国際社会への復帰を果たすべく

国連の常任理事国であったソ連との間で1956年「日ソ共同宣言」を採択します。

この交渉の場において

日本側は四島(=色丹島歯舞群島国後島択捉島)の一括返還を求めましたが

ソ連側は二島(=色丹島歯舞群島)返還で譲らず平行線をたどりました。

共同宣言には、

ソ連歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。

ただし、これらの諸島は平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする】

 

 

という条文が盛り込まれました(そうです)。

その後東西対立の激化にともない日ソ間の関係は冷え込み、

領土問題は捨て置かれることとなります。

 

領土問題交渉の再開と再停滞

再度領土問題に光があたるきっかけとなったのがゴルバチョフの書記長就任と

冷戦の終結ソ連の崩壊→新生ロシア連邦の誕生でした。

日本は橋本龍太郎首相のもとロシアの新大統領エリツィン

「国境線の変更のみ(既に在留していたロシア国民の存在は是認)」

という案を提案しますがロシア側の同意を得られませんでした。

 

エリツィン橋龍の辞任後、

次いで誕生したプーチン政権下(日本は森喜朗首相)では

「日ソ共同宣言」の条文通り「まずは二島返還で…」とロシア側が提案をしますが

あくまで四島返還を求める日本側はこの提案を却下。

 

そして今回。

第二次プーチン政権、第二次安倍政権の誕生を機に

領土問題解決の機運が一気に高まりましたがその高揚も一転

プーチン氏は先日行われた山口での首脳会談後の声明や質疑で領土問題については”ほぼ”触れず

『平和条約の締結』と『共同経済活動』を前面に打ち出しました。

これは領土問題の「停滞」ないしは「後退」と言っていいと思います。

 

領土問題ややこしかったので簡単にまとめておきます。

●簡略北方領土問題

日露戦争後のポーツマス条約で日本領土となる

・第二次大戦後に宙ぶらりんとなる(北方領土問題の発声)

・日ソ共同宣言で二島返還が明記される

橋龍エリツィン間での交渉再開→頓挫

・森ープーチン間での交渉再開→頓挫

・安倍ープーチン間での交渉再開→停滞or後退?

 

 

といった流れです。

無駄に文字数多くなってしまった。

次こそ「で、どうなったの?」ってところを書きます。

書きます。。。